PNG旅行記 |
特にそこに興味があったという訳でもないが、たまたま高校の時の友人がJICA(青年海外協力隊)でそこに派遣されてたから。「こんなことでもないと間違いなくPNGには一生行かへんやろう」と思っていくことにした。だいたいどこにあるのかさえよくわかってへんかった。行くことを決めたのが97年の夏頃。それからすんなり行くはずやったのに、なかなかうまいこといかへんもんや。
97年11月エジプトで日本人観光客が射殺される事故が起こる。しかも新婚旅行の方もいて、世間に衝撃を与えた。それから連日マスコミは海外旅行はこんな危険や!という論調で騒ぎ立てるわ、外務省も渡航情報を発表するなど、世間は旅行自粛ムード一色に染まってしまった。しかも運の悪いことに外務省が出す渡航情報でPNGは最も危険度の高い「渡航自粛」になってしまい大変なことになった。親は反対するし、旅行会社も弱腰になるし、最悪の状況になってしまった。僕自身も「ほんまに大丈夫かいな」と不安になったりもした。それでも何度も友人やPNGに派遣されてる他の隊員の話などを聞いて「絶対大丈夫!」ということで行くことにした。なんで海外旅行行くのに一大決心せなあかんねんやろう。
誰もいない関空
出発は午後11時55分。チェックインからセキュリティーチェックなどすべて20分で終わってしまう。さらにPNG行きのエアーニューギニのところで荷物を預けると「こんな少ないのは初めてです」とのこと。電気もエアーニューギニのところ以外は消え、薄暗くシーンとしていた。こんなとこでほんまに飛ぶんかいなとより一層不安になった。
乗客が10人以下
飛行機に搭乗する。300人ほどの定員に乗客は10人もいなかった。それでも律儀に指定されたところに座らされたので、席の後ろの方にそれぞれポツポツと離れて座った。まるで場末の映画館のようやった。「こんなに少ないし、エアーニューギニってよう知らんし、大丈夫かいな」と何度も思った。それでもなんとか出発!6時間後には南半球や!
入国(確信犯です。税関の方ごめんなさい)
行く前に友達とこんな会話があった。
「なぁ、絶対に持ってきてや!」
「そんなもの持っていって、捕まったらどないしてくれんねん!禁止されてんねやろ!」
「お願い!マジで大丈夫、もし捕まっても1日どっかに拘束されるぐらいやって」
「・・・」
ということで持っていくはめになった。はっきり言って犯罪やし、もし捕まったらめちゃくちゃカッコ悪いやん、いややなぁと思ったが、あまりにも真剣に頼むので持っていくことになった。その持っていく羽目になったものは・・・エロ本。最初はギャグで黒人しか載ってないエロ本持っていこうかと思ったが、そんなのが通じるような状況ではないぐらいせっぱ詰まっているようで「絶対日本人のやで!!」と何度も念を押してきた。なにわともあれ、エロ本を見つからずに税関を抜けないといけなくなった。しかもそのときは本以外に友達のためにノートパソコンとプリンターを持っていたので、かなり怪しい格好やった。そして飛行機は6時10分頃に到着。乗客10人もいないし、色々調べられたらどないしょう、だから持っていくん嫌やってん、と独り文句を言いながら飛行機を降りた。他に飛行機はなく、関空からの数人で並んでチェックを受けてると、なんと僕の前の人がカバンを開けられなんか調べられていた。やばー、もう絶対あかんわ。新聞に載ったらどないしよう。「アホな院生捕まる」とかの見出しで載るんやろか、と絶望的な気分になった。そして僕の番。黒人のおばちゃんがなんか言うてんねんけど全然わからんかった。僕は作り笑いを浮かべて「サイトシーイング」と言うと「・・・・オーケイ!」と少しの沈黙のあと何も調べずに通してくれた。心の中でやったー!と思った。ものすごい安堵感やった。
初めての南半球
空港で友達と会って初めて南半球に来たことを実感する。ほんまに南半球に来てんなぁ。ほんだら、あの太陽は西から昇ってんのかなどと思った。この日は空港近くのJICAの隊員宿舎で少し過ごした後、夕方空港のすぐ前にあるホテルで過ごした。夕方、サッカーをしてる子供らと一緒に写真を撮った。なかなか心なごむ一瞬。
島が見えへん
朝4:00に起きて飛行場へ、飛行機は20人乗り、乗客は僕らを含め6人、あと操縦士と副操縦士だけやった。席はどこに座ってもよかったので一番前に座った。操縦席とはカーテンで仕切られているだけで、そのカーテンも閉めてなかったので操縦席や正面から飛ぶ様子が見れた。雲の間を飛んでるときなんて、ほんまに前が全然見えへんので怖かった。そしてその雲の間を抜けて真っ青な海が出てくるところはすごい感動的。1時間後、予定飛行時間は1時間やのに目的の島が全然見あたらない。一体どないなってんねんと操縦席を見てみると、副操縦士が地図を見てキョロキョロしてる。おまえ、迷たんちゃうやろなー。海ばっかりで全然島見へんがな。燃料とかも大丈夫かいなと一気に不安になった。それから30分してやっと島に到着。飛行機はあてにならんわ。
タピオカダンス
この島には伝統的な踊りがある。タピオカダンス、サークルダンス、それとクリケットダンス。今もなんらかの祭りで踊っているが、観光のためにも踊るようになってる。この日に見たのはタピオカダンスやった。20人弱の男が全身に化粧をして踊る。ふんどしのようなものだけつけ、頭にはウサギのみみのように羽をつけ、顔には白い色を塗り、背や体にはパイナップルの葉をつける。非常にカラフルでパイナップルの強いにおいが辺り一面にただよってた。1人がかけ声をあげてダンスが始まった。村の女の子や子供たちが寄ってくる。踊ってる男達は整列して、腰を突き上げながら、ずんずんと前進し近寄ってくる。そして近くまで来ると反転して戻っていった。それを何度か繰り返した後、ふたてに分かれて互いに近づいたり遠ざかったりしてた。日本の「たんす長持ちーどの子がほーしい(?)」のようやった。かけ声(歌)も男のみということもあって、非常に力強いものやった。
闇夜
島の夜は暗い。こう書くと「夜は暗いのんが当たり前や!」と思うかもしれないが、電気をジェネレーターで起こしているので、夜は電気が使えず、辺り一面暗く、全く何も見えない。文字通り島全体が闇に包まれる。一応目を開けてるのだが一点の光も感じない。恐怖感がおぼえるぐらい暗い。自分が目を開けてるのかどうかわからへんぐらいや。落語の夜道を歩く場面で「暗いから手ぇ離さんといて」というくだりがあるが、まさにそれを実感した。ロッジのオーナーは自分の村に帰り、警備の人が懐中電灯を持って時々見回りに来るぐらいやった。ギーギーと音を立てて廊下を歩いてるのはホラー映画のようや。ほんまに怖かった。
市場
島の中心の市場に行く。注目の的やった。どこに行ってもみんなが見るのでそのたびに手を振って答えてた。なんか選挙にでも出るみたいやった。木の実や芋類などを地べたに置いて売っていた。タロイモのことを「タロ」と言うらしい。何語やろう。ここでは島の人同士の物々交換と僕らや島の外からの紙幣による売買が行われてるようや。こうゆう物々交換と紙幣の経済が混在してるのは非常に面白いと思った。島だけで生活して、自分でもの取って自給自足できたら紙幣なんてあんまり必要やないんやろな。どうゆうふうにこの島全体の経済体制が成り立ってるのか興味深いが、経済はそれほど詳しくないので深入りせずにおく。
カービン
カービンとは木の彫刻のことで伝統的な原始美術として有名。信仰にも使われてたらしい。島じゅうどの村に行っても、カービンを持ち出してきては売ろうとしてきた。村々でいろんなカービンを作っているようで魚や、人間、豚、ワニ、精霊など種類もたくさんあった。ロッジのオーナーが「最初にふっかけてくる値段の6割ぐらいがええとこやろ」と教えてくれた。特にこの島のカービンは有名みたい。カービンの原料が真っ黒の木やったので僕が「エボニー?」と聞くと、相手は、僕がエボニーを知ってたことを驚いてた。まさかこんなところでギターの知識が役立つとは夢にも思わんかった(エボニーはギターの指盤に使われる)。またある村で、ものすごく精巧に作られたカービンの杖(1mぐらい)を友達が買おうしてたとき、最初は子供らが「200kやで」と言うてきた。それから友達が粘ってまけてもらおうとしていると、その子供だけでは勝手に決められへんみたいで村長と思われる人が出てきて、交渉してた。おそらくその村じゅう全部が出てきてたと思う。村にとっては友達の金が入るかどうかはとても重要なことやと思う。村全体のお金になるんやろう。結局買ったんやけど、そのカービンはほんまにすごいようで、その後どこに行っても、みんながそのカービンに注目してさわりにに来たり見に来たりした。
サークルダンス
たまたまある村に行くと、サークルダンスが行われていた。スカートのようなものを腰に巻き付けて輪になって踊っていた。真ん中に普通の格好をした人がいてその人らを囲むようにして踊っていた。主に女の子が踊っているのでリボンなどをつけていた。顔の化粧は村によって違うのが興味深い。サメのように大きい口の化粧をしていた。
クリケットダンス
ダンスを踊ってるのは全員男で、数は30人ぐらい。それを観ていた村の人は全体で200人ぐらいおった。大迫力でまさに圧巻やった。村の広場のようなところで村全体が観ている中、男たちが3列になって登場してくる。最初は踊りを踊ってたが、途中、踊りを中断してクリケット(野球の原始的なもの)を行う。ピッチャーの人が球を投げてバッターがそれを打つ、ということをダンスの途中に入れていた。それで1人のバッターの打席が終わると、また踊りにもどる。そしてしばらく踊った後、再びクリケットを始める、という非常に変則的な感じのするダンスやった。踊ってるときは純粋にダンスをしていて、クリケットに移るとゲームになるというのが面白い。一体、どういう経緯でこういうダンスの形式になったんやろう。それにしてもこのダンスが人数も多かったこともあり、一番迫力があった。
ダンシングギャル
PNGの人が「ダンシングギャル」と言ってた。この日の夜、ロッジで踊ってくれた。ダンスをするのはもちろん女の子で、ギャルと言っても10歳から15歳くらいやと思う。格好はスカートをはいてるだけで、上半身は裸やった。これは犯罪やなーと思いながら見てた。途中で「一緒に踊ってください」と言われて一緒に踊ったんやけど非常に恥ずかしいかった。目のやり場に困るという感じや。(胸は大きかったです。何を書いてるんやろう)こんなことがしててええんやろうか思いながら踊ってた。
ダンスの伴奏がギターとウクレレやったのでダンスの後に伴奏してる人のところに行ってギターを一緒に弾かせてもらった。伴奏はハワイアンのような明るい感じやった。コードをジャカジャカ弾いてたので、一緒に合わせて演奏してくれた。このときはギター弾いててよかったとほんまに思った。
飛行機
島から本島へ帰る日、この日は本島へ行く人が多いそうで飛行機が2便飛ぶことになった。やはり出発時刻より20分ほど遅れて飛行機が来た。この辺のアバウトな感覚は僕には向いてるかもしれへん。
スーパー
首都のポートモレスビーについてスーパーマーケットに行った。やはり外国でマーケットに行くといろいろ日本と違ってるところがあって面白い。ビスケットがぎょうさん売ってるのが目についた。しかもビスケットのパッケージに牛や豚、鶏の絵が描かれていて、それらの味付けやった。日本のお菓子というよりも腹の足しにする感じと友達が言ってた。1枚がボリュームがあり、3枚ほどでお腹いっぱいになった。
夕方、友達の住むところに移動。これ以上遅くなると危険とのこと。やはりポートモレスビーの夜は危険らしい。途中でPNGで2つしかない信号を通っていく。友達の住むところは、日本では家族で住むような一戸建てに1人で住んでる。日本の住宅事情と全然違うことはわかっていても、やはり羨ましい。夜に友達の同僚の人が来て一緒にビールを飲んだ。
海洋研究所
友達がJICAで派遣されている海洋研究所に行く。友達の家から舟で10分ほど。稚魚に3種類のエサをあげてその成長の違いを見ていた。魚は大きなたらい(直径5m)で飼っていた。そのたらいの水を一定の深さに保つために、排水ホースをいったん地面からあげることで、その高さまでしか水かいかんようにしてた。これはパスカルの原理を応用してるんやけど、PNGの人は実際にやらんと納得せんようで、最初にこれを作ったときはびっくりしてたらしい。また、稚魚にあげてるエサの一つはココナッツで、はっきりいってそんなもん魚は食べへんねんけど、やってみなPNGの人が納得しないのでココナッツもエサにしてると友達は言ってた。研究所の1人が日本に来たことがある人がいて、阪大にも行ったことがあるらしく、北千里や山田などを知っていてびっくりした。まさかこんなところで吹田の話をするとはなんという偶然。
ブアイ
ブアイは大きさ6cmほどのビートルナッツの実で、研究所の人がすすめてくれたので一口食べてみた。ブアイの実、マスタードの茎、ライムの粉を一緒に口に入れ、くちゃくちゃと噛むことで、少し気分がハイになるらしい。そこでブアイの実を少しかじって口に入れ、マスタードの茎をライムの粉につけたものを口の中で一緒にくちゃくちゃ噛むと・・めちゃくちゃまずかった。草そのものという感じで苦くて、噛み続けるとなんか歯ぐきに石膏かなんかで固めていく感じの違和感があった。PNGの人はよくブアイをよく食べるようで、どこに行っても食べていた。
リコンファーム
友達の家に帰りそこから電話でリコンファームしようとすると電話の調子が悪くてできなかった。行きが10人もいなかってんから、どない考えても大丈夫やろうと思ったが、飛行機がちゃんと出るかとか念のために帰りのリコンファームをしたほうがいいとのこと。そこで電話をかけるためだけに、もう一度海洋研究所の方に舟で行って電話をする事になってしまった。
酔っぱらい
最終日ということでお土産を買いに行った。ポートモレスビーのスーパーでPNG産のSPビールというビールを買った。帰りに友達の同僚(PNGの人)の家に招待された。そこで調子に乗ってSPビールをかなり飲んで酔っぱらってしまう。そのあとJICAの宿舎に行って倒れて寝ていた。この日の夜に出発やのにほんまにアホにもほどがある。
飛行場
JICAの隊員宿舎から飛行場までは車で5分ほどの場所にある。飛行機の出発時刻は深夜0時やった。そこで隊員の人に車で送ってもらったのやけど、夜は危険なので暗くならないうちに飛行場に送ってもらい、隊員や友達は遅くまでいると危険なので7時頃に隊員宿舎の方へ帰っていった。それで出発までは5時間も待たんとあかんかった。日本やったら「5時間も待てるかい!」と思うのやけど、この1週間だけでもPNGにいて、日本とは全然違うゆっくりした時間の中で過ごしてたので、全然退屈もせず、ボーッとしてゆっくりした時間を過ごした。ゆっくり過ごせたし面白かったといろいろ思っていた。
帰りの飛行機も乗客は数人ほどやった。飛行機は週に1便しか出ていないので僕と同じく3日に来て、10日の同じ便で帰る人も何人かいた。SPビールをお土産に日本に帰っていった。
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